東宮(とうぐう)が燃えている、皇太子府が炎上している。これはなにを意味するのか。
鎌足(かまたり)は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)のあとを必死に追いながら、事態の背景を考えていた。
あすは新年という大晦(おおつごもり)の夜である。たんなる失火とは思えない。おそらく何者かが火をつけたにちがいない。だが、なにをねらっての放火であるのか。
夜の難波(なにわ)の大道(おおじ)を疾駆し、燃えさかる東宮にもどってみると、舎人(とねり)、衛兵、官人らが炎に赤く顔をてらされながら、焼け落ちる建物のすさまじい光景をみつめていた。
あまりの火勢に手がつけられないのである。
騎乗のまま南門に駆けこんだ中大兄のもとへ、舎人ら多数が走りよって馬をとりかこんだ。
「姫は無事か」
中大兄は手綱(たづな)をひいて、まっ先にきいた。
東宮の大殿にあたる館(やかた)には、妃(きさき)の倭姫(やまとひめ)が女官、采女(うねめ)にかしずかれて住んでいる。倭姫は吉野(よしの)の乱を起こして死んだ古人大兄(ふるひとのおおえ)が、この世に遺したただ一人の娘である。
「はい、ご無事でさきほど小郡(おごおり)の宮へ移られました」
舎人の一人が答えた。
「ほかに逃げおくれた者はいないな」
「わかりませぬ。なにしろ、あの火勢でございますれば」
そういう間にも、大屋根と梁(はり)が夜空に火の粉をふきあげながら、すさまじい音をたてて崩れ落ちた。
「皇子(みこ)、お気をおつけください」
馬を降りた中大兄に、鎌足は小声でいった。
「なんだ、なにかあるのか」
「これは火つけにちがいありません」
「なぜだ、なぜ火をつける」
「皇太子府を焼き打ちする者がいることを、世に知らしめるためです」
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